聖徳太子






聖徳太子・概要

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日)(同29年2月5日説あり-『日本書紀』))は、飛鳥時代の皇族とされる人物です。

用明天皇の第二皇子、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)とされています。また、『上宮聖徳法王帝説』などでは厩戸豊聰耳聖徳法王の子に山代大兄(山背大兄王)らがいるといわれています。

本名は厩戸(うまやど)であり、厩戸の前で出生したことによるとの伝説からです。ただし、生誕地の近辺に厩戸(うまやと)という地名があり、そこから名付けられたという説が有力であります。別名、豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)、上宮王(かみつみやおう)とも呼ばれました。『古事記』では上宮之厩戸豊聡耳命と表記されています。『日本書紀』では厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王、法主王と表記されています。聖徳太子という名は平安時代から広く用いられ一般的な呼称となったが、後世につけられた尊称(追号)であるという理由から、近年では「厩戸王」の称に変更している教科書も多いです。

『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 ?國」に記述された?王多利思北孤による「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」の文言で知られる国書は聖徳太子らによる創作と言われています。

近年の歴史学研究において、太子の事績と言われてきたことを否定する研究があることから、厩戸皇子の存在は認めるものの、『日本書紀』等の伝える聖徳太子像を虚構とする説もあります。





バナー



エステ
銀座のエステをお探しならライズ様